停車場遍路の鐵道迷的臺灣

台湾に特化した鉄道趣味の記録です、「鐵道迷」は鉄道ファンの中国語です

2018台湾旅行-21:烏山頭水庫

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水庫とはダムのことである。このダムは日本統治時代に一人の日本人技師と関係者・多くの協力者の尽力により建設された。

当初は予算が少なく、米の二期作が可能な広大な土地を潤すには計画されたダムの規模が不十分であった。そこで地元の人々に資金と労働力を募り、他の水系から導水トンネルを掘るなどの難工事を行い、多くの殉職者を出しながらも完成にこぎつけた。

その結果、洪水と干ばつで荒れた土地は治水と灌漑により生産性の高い農地に生まれ変わり、暮らしは豊かになった。人々は功績を讃え像を建てることにした。その技師こそ八田與ー氏である。本人の「有難いことだが立像は偉そうなので勘弁してくれ」との意向で、腰を下ろして思案中のポーズになっている。

その後、八田氏は別の任地へ赴く途中で殉職し妻は放水口に身を投げて後を追った。像の背後に墓碑が建てられ、やがて終戦となる。国民党が大陸での内戦に敗北して逃げてくるとこの像は地元の人により隠された。そして、台湾が民主化を迎えてやっと元の場所に戻された。

今日でも献花が絶えず、命日である5月8日には慰霊祭が行われている。



隆田車站の駅前タクシーは他と違って観光客目当てに運転士が声をかけてくるが、私はこのページのバスで烏山頭水庫へ向かう。

バス停に現地の学生っぽい青年がいるが彼もカメラを下げている。

やってきたのはマイクロバスだったが、もちろんICカードセンサはあるし、チケットの発行機もある。台湾の地方のバスはたいてい下車地申告制先払いであるが、ICカードならピッとやるだけ。

方角としては東になるのだが、バスは寄り道していくためまず北へ向かった、知らなかったから心臓に悪い。車内案内表示に「下一站(シアイージャン):~」で次のバス停が表示されるから、それさえ見逃さなければアナウンスがわからなくても降車ボタンが押せる。

さっきの青年とおばさんと私の3人が烏山頭水庫で降りた。

ICカードを慣れた風にピッとやったら現地人と思われたらしくおばさんに話しかけられた。「我是日本人(ウォシーリーベンレン)」としか答えられない。青年の方はもともと私が日本人だと感づいていたようだ。

ゲートで入場料80元を払う。八田氏の銅像と紀念堂はこのエリアにあるが、当時の住まいを復元した八田與一紀念園區だけ独立の入口で北に少し離れている。そちらへの入場にはレシートが必要になるから捨てないように気をつける。


道標にある八田氏像の英語表記が Hatta ではなくHachida になっている。日本語読みで書くまでは良かったが詰めが甘かったようだ。八田は中国語読みだと「パッテン」だから、地元では当時からずーっと「パッテンさん」なんだろう。


像までの途中にSLが展示されていた。


日本語の解説はありがたい


残念だが像には近づけないようだ、実はこの像は去年首を落とされている。


犯人である統一派の新党の議員が警察に出頭し「独立派により蒋介石像が悪戯されていることへの報復である」と。独立派が親日だとは限らないが何か結びつきがあるのだろう。像は1か月もかからず復元されたが、周辺の立ち入りは禁止されたようだ。悪意を持った人には全く無防備だと思うが、監視カメラはありそうだ。

私のカメラは26倍までズームが効くが、当然ブレやすくなる。なんとか様になった一枚がこれである。墓碑に二人の名が刻まれている。


琴柱灯篭は兼六園のそれを模したのだろう、八田氏は石川県出身である。


実は天気は晴れでPM2.5が濃い。冬の台湾は空気が悪い。




自来水は上水道のことである


発電所もある


旧放水口


八田與一紀念堂


堂が作られた経緯


烏山頭水庫を扱った日本の出版物




案内図にすべての道が書かれていないので迷った。だいぶタイムロスしたので殉職者の碑は見られなかったが、本土・台湾出身の区別なく亡くなった順に氏名が彫られているそうだ。

私は像さえ見られれば良かったのですぐ次のバスで帰る行程にしたが、タクシーを使う方が賢明だと思う。ただ、帰りのタクシーがゲートに居るかどうかは定かではない。

時間が残り少ないが八田與一紀念園區へ行く。ここは前総統の馬英九が烏山頭水庫を訪れた際に「整備・復元する」と約束してできたものである。

民主化後「大陸と統一」の立場は変わらないものの日本統治時代を「復元」するところまで国民党のアクションが変わってきている。

入口


入ると右のテントから「發票(ファーピャオ)」と声がかかるのでレシートを提示する。

八田宅


もちろん日本側も復元に協力している


妻の外代樹(とよき)像


他に3つの家屋が復元されている、八田氏の部下にあたる4名の住まいである。

市川・田中卓(棟続き)


阿部宅


赤堀宅は内部公開されていた。定期的に公開する家屋を変えている。








これはビジターセンター


壁にある解説、日本語がきちんとしてる


中にシアターもあるが急ぐので展示エリアのこれだけ撮る。嘉南大圳と呼ばれるこの農水施設がいかに広いか、台湾が九州くらいの大きさと考えると見えてくる。


バス通りはその名も「八田路」である。公の街路名なんだから英語表示が中国語読みのままでいいんだが、Hatta になっている。


帰りは紀念園區出口左にあるこのバス停から乗る。


主要バス停の時刻しか書かれてないうえに予想時刻になってもなかなか来ないが、手を挙げないと通過してしまうので気が抜けない。列車への乗り継ぎ13分だからバスの遅れが気になったが、2分遅れぐらいで無事に隆田車站に戻った。

[私が覚えた中国語21]

だいぶ忘れているので調べなおしました。

什麼(シェンマ):なに(what)
為什麼(ウェイシェンマ):なぜ(why)
什麼時間(シェンマシージェン):いつ(when)
怎麼(ゼンマ):どのように(how)